音痴の稽古場日誌

虚仮華紙×劇団森企画公演「音痴の夢を観る観るうちに、遠方の遊星になるとゆう」の稽古記録です

遊星ver.2(千代)

(0)はじめに



名前が好きです。



大学受験のときは高校コード表をめくってかっこいい名前の高校にマーカーを引いていたし、毎年夏になると甲子園出場校の名鑑を眺めてこの名前はエースっぽいなぁとか色々妄想しているし、初対面の人に「いい名前ですね!」と興奮気味に攻めてしまったことがここ3ヶ月で2回はあります。


なぜそんな話をしたのかというと、「遊星」という2文字を見て僕が最初に連想するものが『遊星からの物体X』でもプロ野球選手の菊池雄星でもなく、架空のキャラクターの名前である「不動遊星」だからです。


不動遊星とは、テレビアニメ『遊戯王5D's』の主人公です。僕が世代ドンピシャというのもありますが、遊戯王のアニメシリーズの中で1番かっこいい名前の主人公だと思っています。いや、あらゆるホビーアニメのキャラの中でも屈指の格好良さがあると言っても過言ではありません。


なぜ不動遊星はかっこいいのか?人としてではありません、名前が、です。以下それを長々と語るので、面倒な方は下の方(「おわりに」らへん)までスクロールしてください。




(0)はじめに

(1-a)不動/珍しさ

(1-b)不動/力強さ

(2)遊星/輝き

(3-a)不動遊星/矛盾

(3-b)不動遊星/セオリー

(4)おわりに

※便宜上こうしているだけなのでこの目次を触っても飛びません



(1-a)不動/珍しさ


まず「不動」という名字がカッコいいです。

なぜ不動はかっこいいのか?語感として、フィーリングで、でもいいのですが、今日は稽古が休みで時間があるのでもう少し掘り下げたいと思います。


僕の考えとしては、端的に言うと『珍しさ』と『力強さ』です。


ここで言う『珍しさ』というのは、必ずしも日本における世帯数の少なさではありません。他の名字にない『属性』を持っているということです。

例えばヒャダインこと前山田健一氏の「前山田」という名字は日本に40名ほどしかいませんが、「前」「山」「田」いずれも名字には頻出の漢字であり「初めて見たな」「珍しいな」という以上の感想を僕らに与えません。

(前山田かっこいいだろ!という方いたら申し訳ございません。前山田には前山田の良さが間違いなくあるのですが更に長くなるので割愛します)


「不動」は日本に1,300名ほどおり、マイナー名字界ではそこまで強いわけではないのです(突然謎の概念を持ち出してすみません)が、「不」「動」ともにあまり名字では見かけません。


否定を表す「不」。

動詞的で行為を表す「動」。

どちらも日常的にはむしろよく使う漢字ですが、名字における『属性』としては貴重です。


「不」が含まれる名字では不破(約5,600人※)が最大手、次いで不動。3番手の不二は全国に約250人しかいません。

それ以外の否定の意を持つ漢字、「否」や「非」が含まれるものは10人20人単位の本当に稀な名字がいくつかあるのみ。


「続」いて「動」詞的な漢字について「考」えてみると、「思」った以上にそれらが「含」まれる名字は少ないということが「分」かるはずです。

(もっともこれに関しては反例も多いですし、佐藤の「佐」が補佐の「佐」という説もあり否定ほど稀ではないのですが)



つまり、「不動」はその字面において他の名字には無い『属性』を持っているのです。

これが『珍しさ』です。



※名字由来net(https://myoji-yurai.net)の数字を基にしています。他の名字も同様です




(1-b)不動/力強さ


思った以上に長くなりそうなので章分けが細かくなっています。そもそも稽古場ブログで章分けなんてするものなのでしょうか?……。


先に進みます。


さて、「不動」という名字の持つ『力強さ』についてですが、こちらに『珍しさ』ほどややこしいことはありません。ほぼフィールです。


不動。


動かざる、と書いて不動。


動かざること山の如し。どっしりとした力強さを感じませんか?


不動明王、の不動。「不動明王」で検索してwikipediaを見てください、力強い言葉がこれでもかと並んでいます。

降三世明王軍荼利明王大威徳明王金剛夜叉明王らと共に祀られる」とりあえず凄いということが分かります。仏教に詳しい方には申し訳ありません。


つまり、「不動」はその字面そのもの、あるいはそこから連想させるものに『力強さ』があるのです。


繰り返しになりますが『珍しさ』と『力強さ』、これが「不動」のかっこよさを生んでいるのです。




(2)遊星/輝き


「遊星」という名前もかっこいいです。

名前のかっこよさなんてフィーリング以外の何物でもありませんが、あえて言葉にするならば、「遊星」は輝いているような感じがします。

キラキラネームという意味ではありません。上でも述べた『属性』で言えば光属性のような、そういう字面としての輝きを感じるのです。


「遊星」とはすなわち惑星であり、僕たちの地球のように軌道上を公転し続けている星のことです。

(ライディングデュエルでサーキットを走り続ける不動遊星によく合っている名前なのですが、ここではただ字面を見るだけなので関係ありません)


こうして人名で辞書を引いて意味が出てくることは『珍し』く、それだけで分かりやすく『属性』を持つことになります。


遊ぶ星。


遊ぶ(play)という意味で普段使うことが多い「遊」ですが、他にもいろんな意味があります。コトバンクによれば、「遊星」における「遊」は「位置を定めず自由に動き回る」。


果たして同じ公転軌道上を巡り続ける遊星が自由に動き回れているのかどうかはともかく、「遊星」の字面には「自由に動き回る星」という意味があるわけです。


いいですね。自由な星。綺麗な輝きを感じます。格好いいです。しんみりします。




(3-a)不動遊星/矛盾


僕は、こと日本において、人名は名字と名前のバランスが重要だと考えています。

「不動」という名字だけでも「遊星」という名前だけでも「不動遊星」は成り立ちません。並べたときにどう感じるか。人名から受ける最終的な印象はフルネームに左右されます。


不動遊星。


…………



矛盾、していませんか?


思い出してください。そこそこのスピードで流し見していた方は戻ってください。


動かざる「不動」。

自由に動き回る「遊星」。


矛盾です。おかしいんです。「不動遊星」はおかしい。

ここで「いや、好きで不動姓を名乗ってるわけじゃないんだから矛盾も何も……」とか考えてはいけません。繰り返しますが、僕は名前の字面だけを見ているのです。


しかしこの『おかしさ』、『矛盾』こそが「不動遊星」の格好良さであり魅力だと僕は考えます。


構造としては「清純派セクシー女優」と一緒です。パッと見でおかしいな?と感じる、相反する複数の要素を備えている、それゆえに鮮烈な印象を受ける。

そういう不思議な魅力を持っているのです。


例えばこれが「動かざる遊星」だとしたらどうでしょう、なんだかミステリ小説のタイトルみたいでかっこよくありませんか?自分で書いててワクワクしてきましたよ。




(3-b)不動遊星/セオリー


……実は、この「不動遊星」という名前、正確には「不動」という名字に対して「遊星」が来るというのは、正直なところ僕の感性で言えばあまり好きなバランス感覚ではありません。姓名双方が力強すぎるのです。カツカレーみたいな感じです。

名字が強いときは名前はあっさり、名前がキラキラなときはシンプルな名字、僕の中にはそうしたセオリーがあります。


しかし、カツカレーは美味しいんです。はい。美味しいんです。かっこいい名字にかっこいい名前が付いてかっこよくない訳が無いんです。


僕の中のしょうもないセオリーから外れたところで、大した問題は無いんです。そこには別のセオリー/理論があるかもしれないし、いわゆる「外し」の格好良さがあるかもしれない。

何よりそこには、かっこいい名前があるのです。名前の数だけ由来があって、かっこよさがあります。



人名で妄想に耽るとき、よく考えることとして「主人公みたいだな」というのがあります。

どんな物語なのかによって主人公の名前の方向性というのも変わってきますが、「不動遊星」が持つ溢れんばかりのパワーというのは分かりやすく主人公のそれです。

子供向けアニメや少年漫画の、いわゆる「憧れ型」主人公のそれです。『セオリー』通りの、王道を行く主人公。




……。


つまり、まとめると、不動遊星は清純派セクシーカツカレーなのです。ね、美味しそうでしょう。




(4)おわりに


大事なことを忘れていました。



『音痴の夢を観る観るうちに、遠方の遊星になるとゆう』



これは僕の性癖を暴露するコーナーではなく稽古場ブログで、この公演の宣伝が目的なのでした。


僕はこうした演劇やら映画やらのタイトルを眺めるのも割と好きなのですが、『音痴の〜』(略してしまってすみません)を初めて見たときの率直な印象は「長いな」でした。今でもコピペ無しで正確なタイトルを打ち込む自信はありません。


しかし長いタイトルの良さというのもまた、確かにあります。

『珍しさ』があるし、長い分だけ内容や空気感を想像しやすいのもあると思います。

例えば『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』とか『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』とか。後者は違うかもしれません。


『音痴の夢を観る観るうちに、遠方の遊星になるとゆう』これも、タイトルから公演に漂う空気感を掴むことができます。できるはずです。

今回の訳の分からない文章を最後まで読んでくれたあなたなら、きっと楽しめるはずです。お待ちしております。



藤沢千代

遊星(末岡)

末岡は「遊星」で、って言われました。

遊星をテーマに文章を書くのは初めてです。難しいですね。ヤフー知恵袋に同じような困った人が過去にいないかなと検索かけても、いませんでしたね。困ったもんだ。


 どうやら、調べてみると「遊星」とは「惑星」と同義語だそうです。かといって、惑星で何を書けるのだろう。あっ、そういえば、去年のゴールデンウィークに、家族でレンタカー借りて木星に行ったんですよ、、、、とは、ならない。あいにく、「猿の惑星」も「恋する惑星」も観てないから、その話にも繋げられない。あっ、そういや、こないだ帰りが遅くなるからお母さんに頼んで録画してもらったアメトーーク!が「惑星大好き芸人」だった、、、、とはならない。アプローチを変えます。


 どうして主宰・東京ドム子氏がこのタイトルにしたのか考えてみようと思います。しょうじき、台本の中に人工衛星を飛ばす描写はないですし、人類火星移住計画の記述もないです。でも、遊星。これはどういう意味なのか。特に意味はないよ、とか言われたらあれなんですけど、美しい響きと字画を持つ言葉であることは確かです。どうして、夢を見ていたら、遠くの星になってしまうのだろう。そして何故、惑う星ではなく、遊ぶ星なんだろう。


 主宰の書いたテキストを読んでいると徐々にわかってきました(気がしました)稽古場運営や彼女のつける演出をみても。この話は、極めて愉快で遊び心あふれるお芝居です。主宰の飄逸が漂う世界観の中で、6人の役者がいい感じに野放図に、時にカチッとコチっとするお芝居です。

なんていうんですかね、面白いです。芸術でも娯楽でも括れない感じが、フワフワして。


「音痴の夢を観る観るうちに、遠方の遊星になるとゆう」ぼくは、このタイトル好きです。もし、このお芝居のタイトルが「じゃんがらラーメンクライシス」だったらオファーを断ってますもの。いや、嘘。それもいいなぁ、楽しそう。立石さんがラーメン屋の大将で、ホールを担当してる妻役を奥さん。ぼくは、大将の見習い役かな。最初は親父のことが嫌いだけど最終的に好きになる高校生の娘役に白鳥さん。千代さんが常連さんで、城野さんがそのお店を危機に陥れる黒幕、みたいな…笑 なんでもないです。


12月1.2.3日 早稲田小劇場どらま館にてお待ちしております。ぜひ、お腹を空かせてお越しください笑

遠方(立石)

遠方です。


読み方としてはやはり「えんぽう」となるけど、「おちかた」という読み方も一応あるらしい。意味はどちらも変わらず「遠くの所。ずっと向こうの方。」シンプルにこうなる。おちかたってじゃあどういう時に使うのかなと思って検索してみると、「彼方茜香」というタレントの方が出てきた。「彼方」でおちかたと読ませるらしい。えーそうなのかと思ってスクロールしてたら「彼方」の読みが並んでいるweb辞書に当たった。どうやら彼方の読みは結構たくさんあるみたいで、詳しくは古語辞典を見てほしいけれど、あんまり「彼方」で「おちかた」と読まれるのはメジャーではないようだった。少なくとも載ってなかった。彼方茜香のおちかたは当て字に近いものなのかもしれない。歴史的には「おちかた」といえば「遠方」の方がメジャーなのに、(たぶん)当て字の「彼方茜香」に検索結果を占拠されてしまっているのは、卵より先に鶏が生まれてしまった感じのような気がする。どっちだろうかはよくわかんない。


最も今回ではえんぽうです。ちゃんと確認したわけではないけど、おちかたと読んでいる人を見たことがないので、おそらくえんぽうです。遠方。「方」を「ぽう」と読みますね。そのせいで、「えんぽう」という字面からはそこまでの遠方を感じない。二つ覚えで「えんぽう」を検索してみると、また色々出てきた。いちいちこんなことしてたらきりがないとも思うけど、「遠方」がなんと検索結果の一番ではなかった。遠方はどっちの読みも微妙な立場に立たされているらしい。年号とかの方が出てくる。ちなみに関連検索候補を見てみると「遠方 トイレ」というものがあった。遠出した先でトイレ探して焦る人は意外といるのかしらと思ってそっちへ飛んでみると、遠方って、どうやらトイレの隠語らしい。主にデパートなんかで使われるものらしい。僕のバイト先にもトイレに行くことを表す隠語は用意されているけど、こういう呼び方は知らなかったと思い、もうちょっと見てみると、「便所異名集覧」という本を見つけた。ひたすらトイレの呼び方を集めた本で、1114通りあるらしい。果たしてそのうち隠語として使われるトイレはどれくらい含まれているのか気になると、だからこんなことをだらだら続けていると随分遠くまで来てしまった気がする。実際にはスマホ以外何物も使っていないのに。

見る(白鳥)

部室の壁を見るのが好きです。


正確には、壁一面に貼られてあるフライヤーをみるのが好き。

1つ1つをじっくりとみていくと、公演のイメージ以外にも当時の流行りのタッチや色味の変化、宣伝美術さんのこだわりなんかが見えてきて楽しいですし、過去の公演のフライヤーをみてどんな内容か妄想できたりするので、部室で暇な時はよく壁を見ています。


そういえば、この作品のフライヤーは面白い仕掛けがありまして、なんと真ん中で切り離せるんです。フライヤーをシェアする発想はなかったのでこれを考えたドム子ちゃんは凄いなぁと思いました。

個人的に勧めたいフライヤーの楽しみ方は裏面の女の子で塗り絵をすることです。世界で1つのフライヤーを作ることができます。お手に取る機会があれば是非。

視る(奥)

最近、私の視界は実にわがままだなぁと思いはじめまして、というのも、私は(というよりも人間は)いついかなる時でも、無意識に見たいものを選択しているのだと感じはじめたからです。

例えば、女性を見る時(というのも、今私の目の前には美しい見知らぬ女性が座っています。電車に揺られて。)、私は彼女の見るからに丁寧に手入れをされたサラサラの髪にかかる天使の輪を一番に目に入れて、ほうと勝手に堪能するのですが、ある人の目に最初に映るのは、彼女のほんの少しだけ丸みを帯びた、可愛らしい稜線を描く鼻なのかもしれません。


今私の目に(あるいはあなたの目に)映るものは、私(あなた)が今まで見てきたもの、触れてきた価値観、身を任せてきた文脈が薄く薄く、されど幾重にも重なった、そのフィルターを通したものなのです。


また、あるとき、我々の脳は、目に映ったものから、過去に見た、自分にとって好ましい、あるいは厭わしい、特別な感情を引き起こさせるものを、ひきずりだしてくることがあります。


例えば彼女(先程の彼女でなく、想像上の、だれでもない彼女です)の、乾燥でひび割れた赤い唇を見たときに、私が、熟れきってはちきれたざくろを連想したならば、それはきっと何年たっても彼女のことを、きっと特別に思い出す合図なのだと思います。


例えばあなた(今この文章を読んでいるあなたです)が、ふらりと(あるいはしっかりと予約をして)、この劇をご覧になって、あなたの記憶のアーカイブからなにがしか引き出したり、その後のあなたの人生の折に、あなたのそのわがままな目が透明な何かを捉えて、この劇のことを思い出してくれるような、常にそういう高慢で大きすぎる野望をもちながら表現をせねばと、そういう心持ちで、取り組もうという、そういう次第であります。

夢(城野)


今まで見た夢を思い出そうとしたのですが、覚えているのは、寝ていたら首を絞められて殺される夢や、高層ビルの中にテロ組織みたいな人達がいて人々が殺されてしまう中、私だけ呑気にパンを食べている夢や、何を勘違いしたのか校内のミスコンみたいなものにエントリーしてしまい、掲示板に載せられた写真を見た人々に嘲笑されるという、怖かったり、奇妙だったり、恥ずかしかったりする、どちらかというとネガティヴな夢ばかりでした。それらが必ずしも良い夢でないという訳ではないと思いますが、起きた時に幸せな気分になった夢も確実に見ているはずなのになと思いました。

それを忘れてしまうのは私がネガティヴだからなのか、怖い夢の方が印象に残りやすいからなのかは分かりませんが、今日は明るい夢を見て、幸せな気分で目覚められたらと思います。そして、一つぐらいはそういった夢を覚えていられたらいいなと思います。

音痴(東京ドム子)

音痴、と聞くとヒヤッとします。私はとてつもない音痴です。

小学5年生の時、当時はやっていた青山テルマの「そばにいるね」を口ずさんでいたところ、父親に、「翔べ!ガンダム」に間違えられました。それくらいの音痴です。

 

中学生に上がっても、音程をとれることはなく、aikoのカブトムシを歌っていたら友達に爆笑されました。お経だと思ったそうです。

 

高校に上がっても、音程との相性は悪いままでした。音楽の授業で、ホールニューワールドを歌わされた時に冷やした肝は今も機能を停止しています。

 

大学に上がり、人前で歌を歌う機会はめっきり減りました。音痴だねと、人に言われることもなくなりました。

・・・さみしい。

だから、ではありませんが(音程が調子に乗るので)、作品名を「音痴の夢を観る観るうちに、遠方の遊星になるとゆう」にしました。

12/1~3です。お越しいただければ幸いです!!